学校日誌

了解 昔ながらの三春駒ももちろん,あります。 1/5

中妻小学校にも,ちゃんと昔ながらの三春駒があります。

正面玄関のショーケースに入っています。

くろすけ・しろまると並べてみました。(残念ながら,両方とも黒い三春駒の置物です。)

 三春町には,「三春駒」と呼ばれる,玩具,置物があります。実際は,隣の市町村の郡山市西田町高柴デコ屋敷で作られている置物です。昔,高柴一帯は三春藩の領地だったため,「三春駒」と言われています。

 三春駒は、遠く坂上田村麻呂東征の伝説に由来する「子育木馬」が発祥と言われ、子育てのお守りとされた一寸大の馬型木彫が原形です。後に馬産地三春の仔馬生育を願って神社に奉納したり、子どもの玩具に用いたりしました。

 三春駒の伝説 延暦14年(795年)、坂上田村麻呂は、大滝根山の洞窟に住む大多鬼丸という賊を討つため京都を発つことになった。強敵を相手に田村麻呂率いる兵士が苦戦を強いられた時、どこからか鞍馬100頭が田村麻呂の陣営に走り込んできた。 兵士たちはその馬に乗って大滝根山に攻め登り、大多鬼丸を滅ぼした。 戦いが終わってみると、いつのまにか鞍馬100匹の行方はわからなくなっていた。  

 翌日、高柴村で、村人の杵阿弥(キネアミ)という者が、自分で作った99匹の三春駒を子孫に残した。後に、杵阿弥の子孫が、この木馬を模作して里の子供たちに与えたところ、これで遊ぶ子供は健やかに育ち、子供の無い者も3粒の大豆を餌として木馬に供えると子宝に恵まれる、また病にもかからないと言われ、誰ともなしのにこの木馬を子育木馬と呼ぶようになった。