校長室からお届けします

校長室だより「自立の丘」№55 令和7年3月21日発行

2025年3月24日 09時22分

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◆ 素晴らしい子ども達と教職員に拍手

  沢石小学校の令和6年度が本日の修了式・卒業式で幕を閉じました。1年間、本当によく頑張った子ども達でした。勉強面では、どの学年も町のトップクラス。そして、学年によっては県のトップクラスの成績を多くの学力テスト等で収めました。特にうれしいのは、学年が上がるにつれて学力が伸び続けていることです。これは、本校で学ぶことが学力を高めることになっているという証しです。先生方の指導がしっかり実を結んでいる証しでもあるので、指導にも熱が入っていたように思います。

 「少人数の学校だから学力が高いのでしょう」と考える方がいますが、そうではありません。その証拠に、本校と同じ小規模の学校でも、多くの学校は学力が伸びずに苦しんでいます。では、沢石小は他校と何が違うのでしょうか。

 まずは、子ども達の「素直さ」です。素直とは従順とは違って、「他者の言葉や良い行動を受け入れる能力」だと、私は思います。素直さによって勉強ばかりでなく、運動面でも様々な活動に全力で頑張ってきた子ども達でした。校長が集会の度(たび)に行った、たくさんの賞状の伝達が、それを物語っていました。

 次は、先生方の「授業づくり」です。三春町では小中学校全てで、大人が小中学校で受けてきたような「教え込む授業」からクラス全員が参加する「学び合う授業」に変えようと研修を積んでいます。それが最も進んでいるのが本校です。遠くは鹿児島から視察に訪れた教員もいたほどです。授業によって、子ども達の学ぶことへの意欲が、とても高まりました。これほど向学心の高い子ども達に、私は出会ったことがありません。そして、先生方を陰で支え続けてきた本校職員の皆さんの存在も大きかったことを忘れては、いけないと思っています。

 子ども達と教職員とで力を合わせて成し遂げた、この沢石小の姿をあと数年後が検討されている閉校の時まで、ぜひ続けてほしいという思いで、エールの拍手を贈りたいと思います。『エクセレント!(大変よくできました)』

◆ ご愛読に感謝いたします

 再任用校長制度が3月31日をもって終了となり、私は退職となります。2年間、校長を務めさせていただきましたが、教員生活の最後を誰もが憧れる沢石小で迎えることが出来て幸せだったと思います。学校の様子や校長の教育方針を分かりやすく伝えたいという思いで創刊した「自立の丘」の最終号となります。2年間のご愛読に感謝いたします。

校長室だより「自立の丘」№54 令和7年3月19日発行

2025年3月24日 09時16分

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◆ 卒業式まで2日

 6年生7名の巣立ちの時まで、あと二日となりました。別れは辛いですが、大空に飛び立つ若鳥を見送るように祝いたいと思います。

                 卒業式をみんなで創ろう

  卒業式が近づくと、私は忘れられない、ある卒業式を決まって思い出します。その学校の60名の6年生は、3月のはじめから何度も『別れの言葉』を練習して、卒業式当日を迎えました。でも実は、その小学校では卒業式の1週間前からインフルエンザが流行っていました。各学年で毎日何人かがインフルエンザで学校を休んでいましたが、6年生だけは当日まで全員が休まず登校し、「さすが6年生だね。卒業式を控えていると違うね」などと他の学年の先生方にほめて頂いていました。でも、実際は卒業式があるのでインフルエンザに負けないぞと必死に頑張っていたのかも知れません。卒業式当日も6年生だけは全員が登校しました。

 いよいよ卒業式が始まりました。卒業証書授与が終わり、ご来賓の方々のお祝いの言葉も終わり、残るは6年生の『別れの言葉』だけです。立派な『別れの言葉』が始まり、広い体育館に心のこもった言葉が響きます。『別れの言葉』が中盤頃にさしかかると、立っている6年生のある一人が具合が悪くなったのかイスに腰かけてうつむいています。学校でインフルエンザが流行っていましたから、インフルエンザかも知れません。保健の先生が静かにだけど素早く、その子に近づくとその子の様子を見てから保健室で休ませるために連れ出していきました。6年担任である私は、ハッとしました。その子の『別れの言葉』の担当箇所がまだだったからです。

 『別れの言葉』が途中で止まってしまう! と心配になりました。「ああ、もうすぐさっき連れ出された慎吾君のところだ。しかも、とても大切な言葉だ。ああ、もうだめだ。」気をつけのまま6年生たちと一緒に立っている私は、どうすることも出来ませんでした。

 次の瞬間です。慎吾君の隣の席の徹君が担任の先生である私を見ています。何となくその目が「先生、任せてよ。」と言っているような気がしたので、私はコクっと小さくうなずきました。すると徹君はニコッとして再び前を向いて『別れの言葉』に加わっていきました。そして、すぐに徹君の担当の箇所がやってきました。すると、慎吾君に任せた大切な言葉を徹君が慎吾君と同じように心のこもった大きな声で体育館に響かせてくれました。やがて、慎吾君がいないのに、何事もなかったかのように『別れの言葉』は立派に終わりました。練習を通して友達の担当の言葉も覚えてしまっていて、自分で判断して具合が悪くなって保健室に連れ出された慎吾君の代わりにやり遂げてくれたのです。

 卒業式をはじめとして、行事などの本番では何が起こるか分かりません。本番で何が起きても大丈夫なように、考えておくことが大事なのですね。言われた通りにするだけじゃダメで、どうすれば良いのか、その時その時に自分で考えることが出来ると良いのです。みんなで協力して、最高の卒業式を創りあげましょう。本番で、うまくいかないことがあっても、よく考えてやり直していけば、きっと大丈夫。最後には最高の卒業式となるんです。

校長室だより「自立の丘」№53 令和7年3月12日発行

2025年3月12日 08時29分

00自立の丘_タイトル◆ 命について考える集会

 昨日は東日本大震災から14回目の3.11でした。小学生にとっては、とっくに生まれる前の出来事となっていますが、命について考える契機にしなければならないと思います。ある絵本を基に話をしました。

3.11に命について考える

 寒い冬の間、葉っぱを落とさずに頑張っている木もありますが、桜の木やけやきの木のように全ての葉を落として枝だけになっているような木は死んでしまったのでしょうか。死んでしまったのではないことは、みんなも分かっていますよね。では、なぜ桜の木やけやきの木は葉を落とすのでしょうか。木の葉が主人公の『葉っぱのフレディ』というお話があります。

 春のある日、ある木に新しい葉っぱが誕生しました。フレディとその仲間たち、ダニエル、クレア、ベンジャミンたちです。春には、生まれた喜びをからだいっぱいに感じました。                                                                                                                                 

    夏になりました。葉っぱたちは立派なからだに成長しました。ダニエルたちは、フレディに葉っぱには大切な仕事があると教えました。それは木を育てるだけでなく、人間に対して、涼しい木陰をつくってあげたり、雨降りの時、雨宿りの場所に使ってもらうことでした。

 秋になり葉っぱたちは美しく紅葉しました。しかし、まもなく冷たい風が吹き始め、葉っぱたちは散ること、つまりは死ぬことを覚悟しなければならなくなりました。フレディはダニエルに訊ねました。「春に生まれて冬に死ぬのだったら、ぼくはどうして生まれてきたんだろう」と。

 冬がさらに近づきました。ダニエルたちは「死ぬことは命が入れ替わることだよ。命は永遠に生き続けるんだ。」と言って次々に散って死んでいきました。そして、冬のある朝、枝にたった一人残ったフレディはつぶやきました。「ぼくは死ぬけど、春になると命が引き継がれて、この枝から新しい命が生まれるんだな。」と。 やがて、雪が降った地面の上にフレディは独りで散ってゆきました。

 木は冬の間、役目の終えた葉を散らして、次の新しい命である花や葉を生み出す準備をし続けているのですね。古い葉っぱの命は新しい葉っぱの命を生み出すために生きているのです。私たちも同じかも知れません。私たちの命も、もう亡くなってしまった多くのご先祖様の命、徳川家康が活躍していた500年前から考えると100万人以上ものご先祖様の命を引き継いでいるんです。私たちの命は、ご先祖様の命のお陰で生み出されて今があるんです。自分の命を大事にして、未来につなげて行かなくてはなりませんよね。葉っぱのフレディのように自然の中には、私たち人間が生き方のお手本にできるものが、たくさんありますね。

校長室だより「自立の丘」№52 令和7年2月25日発行

2025年2月26日 12時08分

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◆ プレゼン授業参観終わる

  子ども達の1年間の学習成果をプレゼンテーション(発表)する授業参観が先週金曜日に行われました。私もワクワクしながら各教室を巡ったのですが、どの教室でも自分の伝えたいことを自信たっぷりに表現する子ども達の姿が見られました。

 1・2年生は「大きくなったわたしたち」をテーマに、生活科で創った手作りの「おもちゃランド」で保護者の方に遊んでもらったり、音楽科で出来るようになった楽器の演奏などを披露しました。成長した姿を充分に見ていただいたようです。

 3・4年生は総合学習で1年間をかけて調べたり体験したりしたことを、グループごとにテレビ番組を模して楽しくプレゼンテーションしていました。子ども達同士が学習成果を分かち合いながら、保護者の方にも分かりやすく伝えることで自分たちの1年間を振り返ることが出来たようでした。

 5年生はSDGs(エス・ディー・ジーズ)~人類が地球で暮らし続けていくために2030年までに達成すべき17の目標~という少し難しいテーマで1年間学んできました。担任が6年生の発表場所に居ましたので、映像だけの参加の中、子ども達5名だけでプレゼンテーションしました。タブレット端末を使いこなして、一人ずつの学習成果を立派に伝えることが出来たようです。

 6年生は卒業を目前にしての感謝の思いを保護者の方に伝える会を主体的に開催しました。それぞれの個性を活かした学習成果を披露しながら、同時に保護者の方に楽しんでもらおうと力を尽くしていました。感極まった子ども達も居たほど、よい発表会になったようです。

 沢石小の36名は、校長の贔(ひい)屓(き)目なしに1年間、本当によく学び続けてきました。その素晴らしい積み重ねが、自信に溢れた表現活動につながったのだと思います。子ども達に拍手を送ると共に、子ども達の素敵な姿を間近で見てくださった保護者の方に感謝申し上げます。

◆ 校長特別授業のお知らせ

 6年生の小学校卒業及び中学校進学に際し、中学校生活への夢と希望を膨らませることが出来ればよいなあと考えて、下記の通り特別授業を行います。授業内容は、前半に俳句を用いた国語科、後半に「なぜ学ばなければいけないの?」に答える講話を予定しています。また、再任用校長制度の終了により、私は今年度をもって退職となります。来年は出来ませんので、5・6年生複式学級で授業を行いたいと思います。

 昨年3月の特別授業後に「参観したかった」という声をいただきましたので、今年は事前にお知らせします。よろしければ、保護者の方のみならず地域の方も、ご来校ください。

         時 :令和7年3月18日(火)  6校時(14:55~15:40)

         場所:2F北側 5・6年生教室

校長室だより「自立の丘」№51 令和7年2月6日発行

2025年2月6日 09時26分

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◆ 食べ物を大切にする意味

 恵方巻きのシーズンが終わりました。今年、食品ロスの問題は、どうだったのかなと気になります。考えてみると、食べ物は全て「命」であると思います。ですから、何気なく言葉にしている食事の挨拶について、子ども達によく考えてほしいと願って、こんな話をしました。

食べることは命を戴(いただ)くということ  

 みんなは、食事の時に「いただきます」と言いますね。どうしてですか。そうですね。食事を作って下さった方に感謝の気持ちを伝えるあいさつですね。でも、もう一つ意味があるのです。「いただく」は「自分よりも上のものとして高く差し上げる」という意味もあるのです。つまり、「いただきます」のあいさつは、食べ物自体を有り難いものだと言葉にして感謝することでもあるのです。でも、どうしてでしょうか。それは、食べ物についてじっくり考えると分かってきます。

 食べ物は、すべて「植物」と「動物」を合わせた「生き物」、言い換えると「命」なのです。ちょっと考えてみましょうか。そのものや材料が生き物ではない食べ物ってないでしょう。お米は稲という植物だし、パンや麺の材料の小麦粉は麦という植物です。野菜も植物。植物は命ですよね。魚や肉は本当に動いていた動物で命です。

 つまり、命のお陰で人間は生きていられるんですね。私たちは普段あまり考えていないけれど、食べるものとしてお店に並んでいるものや食事としてテーブルの上に並んでいるものは、すべて人間が生きるために命を差し出してくれた生き物なんです。そう分かると、無駄にしたり、好き嫌いをしたりするといけないのだなと思いますよね。生き物の命である食べ物を大切に食べてあげなくちゃと思うでしょう。だから、「食品ロス」といって、食べ物が捨てられる映像がテレビなどで流されると悲しくなってきます。

 日本人は、人間のために命を差し出してくれた生き物を自分の頭の上に高く差し上げて、感謝の気持ちよりももっと大きな自分より「尊いもの」という尊敬の気持ちを「いただきます」というあいさつに込めているのです。素晴らしいですね。

 そして、食べ終わった後は「ごちそうさま」というあいさつをしますね。これは、今度は食べ物を準備してくれた人や作ってくれた人への感謝のあいさつです。「ご馳走」とは「馬を走らせたり自分が走り回って準備したもの」という意味です。「そんなに努力してまで準備してくれてありがとう」という意味なんです。日本人は生き物の命を「いただく」、準備してくれた人に感謝して食べ物を「ごちそう」と呼んで言葉にしてきたのです。 

 これからの最初の食事は、家に帰っての夕食になりますよね。「いただきます」と言いながら、心では生き物の命に「ありがとう」と言ってくださいね。また、「ごちそうさま」は料理してくれた方に言ってくださいね。

校長室だより「自立の丘」№50 令和7年1月30日発行

2025年1月30日 12時50分

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◆ 夢は頑張ることの原動力

 夢を持つことは、子ども達が頑張ることの原動力になります。イチロー選手の野球殿堂入りに触発されて、全校集会で話しました。

      夢に向かって新しい一歩を踏み出そう

 よく「あなたの夢は何?」とか「将来の夢は何?」とか訊かれますよね。これは、「大人になったらどんな仕事をするのか」とか「どんな大人になるのか」とか、そういうものです。つまり、「人がなぜ生きていくのか」とか「なぜ頑張っているのか」ということの答えみたいなものが夢なのです。人が何十年もの長い時間をかけて頑張って辿り着くものが「夢」なんです。とても遠くにある「最後の目標」とも言えます。

 有名だけど、叶えるのが、とても難しい夢があります。それは、「宇宙飛行士」です。日本人で宇宙飛行士になって宇宙に行った人は、人間が宇宙に行くようになった63年間で、たった14人しかいません。(東京大学は毎年3、000人以上です)その中でも一番多く5回も宇宙に行って合わせて504日間滞在し、宇宙ステーションの船長を務めた若田光一さんの言葉を紹介します。『人生は究極的には、自分への挑戦。ハードルが高ければ高いほど、やり甲斐があると信じ、どんなときも前を向くことが大事。』です。人が生きていく意味が、夢にどれだけ近づけるかですから、それは人との競争ではなくて自分自身がどれだけ頑張れるのかという事なんですね。自分の「怠けたい」とか「楽をしたい」とか、そんな怠け心に自分の良い心が勝つという事なのです。ハードルとは頑張るのが難しい幾つもの目標のことを言っています。難しければ難しいほどできた時うれしいぞと諦めないことが大事だと若田光一さんは言っているんですね。そのハードルが実はみんなの立てているめあてなのです。そして、いくつものハードルを越えた先にあるゴールがみんなの「夢」なのです。アメリカ・メジャーリーグの野球殿堂入りを日本人で初めて果たした、イチロー選手(日本1287安打、米3089安打、計4367安打~ギネス)もこう言っています。『小さなことを重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道なんだなと思う。』

 今、みんなが学校で学習や活動のめあてを立てて頑張ること、つまりハードルを一つ一つ越えて前に進んでいくことは、必ず大人になって夢を叶えることや仕事を頑張ること、幸せな生活をすることになるのですよ。もう夢がある人は、素晴らしいと思います。でも、夢はその時その時で変えても良いものです。これから、色々な人や経験と出会うこと考え直して変えていくことも良いのですよ。まだ夢のない人も、焦らなくていいです。夢を探していると、これから、色々な人や経験と出会う中で、必ず見つかります。それまでは、目の前に小さな目標を決めて、計画を立てればいいのです。そして、“はじめの一歩”を踏み出すことが大事なんです。

校長室だより「自立の丘」№49 令和7年1月9日発行

2025年1月20日 08時20分

◆ 良い年になることを願います
 令和7年は穏やかな三が日からスタートして,良い年の予感が高まりました。子ども達にとっても,それぞれの良い年になることを願いながら,昨日,話をしました。

      何かを始める新しい一歩を踏み出そう

 今日は令和7年,最初の学校の日です。みんなは学年が1つ上に上がる年のスタートの日です。特に6年生は卒業をして中学校へと進学する年になりました。いよいよという感じですね。今日は1月8日ですが,昨日までに家族から「あなたの今年の計画や目標は何かな。」と訊ねられた人はいますか。実は日本には古くから『一年の計は元旦にあり』といって「その年1年間の計画は元日の朝に決めると良い」ということわざがあります。これは本当は「計画は早いうちに立てて,すぐ取り組むことが大切なんだよ」という私たちの生き方へのアドバイスなのです。

 「何かをやってみよう」とか「何かを続けてみよう」と計画を立てなければ,誰でも何もしないままに,過ごしてしまいがちです。そうなってしまわないように,日本人は『一年の計は元旦にあり』ということわざで注意をするように言い伝えてきました

 小さな計画をたくさんやり遂げると,関係ないようでも,いつか大きな夢をかなえることに必ずつながります。日本野球界で9年,USAメジャーリーグで19年,合計28年間も活躍し続けたイチロー選手も「まずは自分の目標を決めて,計画を立てることが自分を高める第一歩だよ」と言っています。つまり「はじめの一歩」を踏み出すことが大事です。

 学校での2学期のめあてとは別に何か目標を決めて,「これからやってみよう」とか「続けてみよう」という計画を立てて家族に話しましょう。土曜日や日曜日に家で掃除機をかけようでも良いし,1日10分間,本を読むでも良いです。家族に話すと,きっとみんなを応援してくれるし,何よりも怠けそうになる自分を自分の心が励ましてくれるようになります。

 まだ1月8日ですから間に合います。どんな小さなことでも良いですから,一人一人に合った,一人一人違った計画を立てましょう。新しい年のスタートに,みんなが「はじめの一歩」を踏み出すことを期待しています。

校長室だより「自立の丘」№48 令和6年12月23日発行

2025年1月20日 08時18分

◆ 良いお年をお迎えください
 令和6年は,年明けから能登半島地震があったり,三春町立小学校の再編についての話題があったりと何かと心を揺るがすことがあったように感じます。年末年始は,子ども達が家族とゆっくり過ごして,良い新年のスタートを切ってくれると良いなと願っております。どうぞよいお年をお迎えください。

   冬休みは“進んで勉強”と“礼儀正しさ”のチャンス! (振り返りの会の話)

 今日は冬休み前の授業が終わる,締めくくりの日ですね。冬休みは夏休みと違って,「1年間で勉強することの大部分が終わっている」とか「年末やお正月がある」とかいうことから皆にとって2つの『チャンス』があるのです。

 まずは、一つ目のチャンスです。4月から始まった各学年の学習は,3ヶ月分くらいを残して今日までに終わりました。4月から今まで学習したことを振り返ってみて全部を身に付けている人は,そうはいないでしょう。ですから,「復習」と言って,もう一度学習し直す内容がたくさんあります。そして,分かる・出来る学習と分からない・出来ない学習は人によって違いますから,自分で学習する中身を考えて勉強しなければなりません。宿題があると勉強するけど,ないと勉強しない人がいるでしょう。だから,やる気にならないと「復習」は,することができないのです。今年も1月30日にちょっと難しい問題の「沢石小 算数コンクール」を行います。自分のよく身に付いていない算数の内容について力を入れて復習をしないと問題を解くことができないかも知れません。冬休み中に“自分から進んでの勉強”に挑戦しましょう。

 次は二つ目のチャンスです。普段会えない親戚や知り合いの年上の人に会ったら,礼儀正しくあいさつをするチャンスがあるし,何かしてもらったら,「ありがとう」と言うチャンスがあります。また,大晦日12月31日に家族に「1年間,色々ありがとうございました。」なんて言うと,びっくりされるかも知れませんよ。家族に対しても「親しき仲にも礼儀あり」という言葉のように礼儀正しさが時には必要なんです。冬休み中にたくさん“礼儀正しい”言葉づかいやあいさつ,そして行動を心掛けましょう。

 今年の冬休みは,15日間ありますが,ボーっとしていると,あっという間に終わってしまいます。ボーっとしていて誰かに叱られないように,自分から進んで取り組む勉強,そして意識して礼儀正しく話したり行動したりすることに頑張ってほしいと思います。事故や怪我,健康に気を付けた生活を送って,来年の1月8日(水曜日)に元気に登校し,登校途中に会う大人の方や先生方に「おはよう」の代わりに「新年おめでとうございます」と,あいさつができると素晴らしいと思います。

校長室だより「自立の丘」№47 令和6年12月5日発行

2024年12月6日 08時41分

◆ 昔話から生き方を考える
  最近の“闇バイト”問題を見ていると,「楽をして金銭を得よう」「苦労しないで生きて
 いこう」というような風潮を感じてしまいます。「幸せに暮らしたい」とは,誰しも思うところかも知れませんが,それが「遊んで暮らす」「楽して生きる」ことでは無いことを考えてほしいと願い,昔話から考えることを昨日の全校集会でやってみました。

みんなは『浦島太郎』のお話を知っていますか。
 むかしむかし,ある村に,心のやさしい浦島太郎という若者がいました。浦島太郎が海辺を通りかかると,子どもたちが大きなカメを捕まえていました。そばによって見てみると,子どもたちがみんなでカメをいじめています。「おやおや,かわいそうに,逃がしておやりよ」「いやだよ。おらたちが,やっと捕まえたんだもの。どうしようと,おらたちの勝手だろ」見るとカメは涙をハラハラとこぼしながら,浦島太郎を見つめています。浦島太郎はお金を取り出すと,子どもたちに差し出して言いました。「それでは,このお金をあげるから,おじさんにカメを売っておくれ」浦島太郎は,子どもたちからカメを受け取ると,カメをそっと,海の中へ逃がしてやりました。
 さて,それから二,三日たったある日の事,浦島太郎が海に出かけて魚を釣っていると,
「・・・浦島さん,・・・浦島さん」と,誰かが呼ぶ声がします。「わたしですよ」すると海の上に,ひょっこりとカメが頭を出して言いました。「このあいだは助けていただいて,ありがとうございました。おかげで命が助かりました。ところで浦島さんは,竜宮へ行った事がありますか?」「竜宮? さあ? 竜宮って,どこにあるんだい?」「海の底です。わたしがお連れしましょう。さあ,背中へ乗ってください」
 カメは浦島太郎を背中に乗せて,海の中をずんずんともぐっていきました。海の中にはまっ青な光が差し込み,コンブがユラユラとゆれ,赤やピンクのサンゴの林がどこまでも続いています。浦島太郎がウットリしていると,やがて立派なご殿へ着きました。カメに案内されるまま進んでいくと,この竜宮の主人の美しい乙姫さまが,色とりどりの魚たちと一緒に浦島さんを出迎えてくれました。
「ようこそ,浦島さん。わたしは,この竜宮の主人の乙姫です。このあいだはカメを助けてくださって,ありがとうございます。お礼に,竜宮をご案内します。どうぞ,ゆっくりしていってくださいね」浦島太郎は,竜宮の広間ヘ案内されました。浦島太郎が用意された席に座ると,魚たちが次から次へと素晴らしいごちそうを運んできます。ふんわりと気持ちのよい音楽が流れて,タイやヒラメやクラゲたちの,それは見事な踊りが続きます。ここはまるで,天国のようです。
 そして,「もう一日,いてください。もう一日,いてください」と,乙姫さまに言われるまま竜宮で過ごすうちに,三年の月日が経ってしまいました。
 三年経ったある日,浦島さんは竜宮から帰ろうと思いました。


 今日の『浦島太郎』のお話は,ここまでです。浦島太郎は,3年もの間,仕事もせずに毎日遊んで暮らし,おいしいごちそうを音楽や踊りを見ながら食べる,天国のような生活をしていました。一生そうやって暮らすことも出来たのに,なぜ帰ろうと思ったのでしょうね。遊んでいた方が楽なのに,仕事をしたり食事を作ったりする,暮らすのが楽ではない世界に戻ろうと思ったのでしょうね。みんなは,どう思いますか。友達と話し合ってみましょう。

大人の皆さんは,どうお考えになりますか。

校長室だより「自立の丘」№46 令和6年11月22日発行

2024年11月22日 10時57分

◆ 体育館がオペラ座になりました
 芸術の秋,第2弾の「二期会合唱団合唱公演~コーラスで楽しむオペラの世界~」が一昨日,本校体育館で開催されました。9月4日の第1弾狂言公演に続くものですが,今回は保護者の皆さんを始め,地域の方々にも多く来ていただき,子どもたちといっしょに鑑賞できたことに感謝申し上げます。来年は文化庁に他の舞台芸術を申請をしたいと思いますので,実現した際には,よろしくお願いします。
 東京二期会は,前日の夕方にスタッフが来校して舞台設置を行いました。体育館のステージとステージ前を使って,まるでシアターの雰囲気でした。客席は本校職員が準備をしてくれました。
 公演当日は,スタッフを含めて30名以上のプロフェッショナルのオペラ歌手が来校して第1部「合唱曲コンサート~世界の名曲~」からスタートです。最後には,先週お二人の歌手が来校しての事前練習をしていた「♪希望の歌」を全校生と二期会合唱団とで楽しく合唱しました。第2部は世界で最も上演されているオペラ『魔笛』(モーツァルト作曲)のダイジェスト公演です。華やかな衣装と工夫された舞台装置によって,“オペラ座”の雰囲気を味わいながら,オペラの名曲をたくさん堪能できました。

◆ 焼きいもで秋を満喫
 オペラ公演の翌日は,全校生で焼きいもを校庭で焼き,美味しくいただきました。サツマイモは,子どもたちが学校で栽培したもののほか,富沢のT・Tさんに全校生が収穫させていただいたものです。「飽(あき)きるほどの収穫が得られるから秋(あき)と言う」(諸説あります)そうですが,全校生が充分に収穫の秋を満喫できました。
 余談となりますが,焼いてもらうイモを抱えて嬉しそうに焚き火のところへ走って行く子どもたちが,前日に聞いたオペラの名曲“夜の女王のアリア”(テレビ等でよく耳にする,あの超ソプラノの曲)を歌っていました。とても微笑ましく,また嬉しくもなりました。